晴耕舎の日々

コーチ逝く

2009.02.15

昨日、市内のホテルで小学校、中学校とサッカーを教えて頂いた恩師の追悼の会が、催され出席してきました。当時僕は、中学校を卒業し兵庫で暮らすことになり、滋賀を離れる朝に、駅までコーチが来てくれ中学校で付けていた背番号が、プリントされた黄色いTシャツをプレゼントで頂き、知り合いの全くいない学校のサッカー部で、練習時に愛用していたことが思い出されました。50半ば、スポーツマンで、人望も厚く、教え子は、数え切れない、いつも笑顔、会えば、どうしてる、あいつはどうしているといった気づかいのある方でした。家の仕事もご依頼頂いてました。お母様、奥様、娘様を残し、病で離れてゆくコーチの無念を想うと、たまりません。
40年生まれの僕たちは、木戸小学校のジュニアサッカー部の一期生。15人ほどのメンバーと若いコーチとで楽しい時間を共有させて頂きました。蒔かれた種は、大きく花を広げ、スポーツを通して地域の交流、大学との連携、志賀クラブからビワコスポーツクラブへの発展と確実に地域に根付いていると思います。コーチは、学校の先生や、自営されていたわけでは、なく会社勤めのサラリーマン。あらためて感謝し、昨日頂戴した、サッカーボールを会社に飾らせていただきます。    ありがとうございました。



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