病み上がりの夜空に ジブリ
正確には、「雨上がりの夜空に」 忌野清士郎。
今日、当社を訪ねてくれた林学の学生からレポートが届きました。年のせいか、高校生?と思っていましたが、さすが学生、読んでいると色々考えさせられました。元気を です。病みが上がりそうです。ありがとう。
長文となりますが、以下届いたレポートそのまま。
「比良の里山での実習 講師:松井さん 」
比良の里山で、私が一番魅力的に感じたのは、地産地消のサイクルである。地元の山から取ってきた材木に、壁に使われる竹や土など、家作りに使われるあらゆる材料が比良の周りから得たものである。そして、家作りのスタイルも同様である。プレカットにより材木を組み立てるだけでの家造りではなく、カンナやノミを用いた家造りには、技術を持った職人さんの腕が必要になる。こういった比良のあり方は、日本の現状に問題を投げかけるものだと思う。現在、木材価格の低迷が非常に深刻な問題になっている。外国から安い木材を輸入し、プレカット加工を施す。現在の木材市場では国産材の価値が正当に評価されない。また、高い技術を必要としない組み立てるだけの家造りでは、今まで培われてきた伝統を失ってしまう恐れもある。今の日本で、本当に大切にしていくべきものは何なのかを考えると、地域に根ざした比良での家造りには、手本にすべき点が非常にたくさんあるのではないだろうか。
日本には、今では里山とよばれる生活空間がかつて数多くあった。里山は今日では少なくなっている。しかし比良には里山の名残がある。比良にはそれを取り戻そうとする人々がいる。これが、比良の魅力である。
実習中には、点在する守山石とそれを用いた石垣、ランドマークとなる孤立木、高木に囲まれた若宮神社を見た。これらを周辺に抱える坂道の降りた先には湖が広がっている。森と湖と町が一体となって、そこに文化を感じさせるものがあるのは素晴らしい。
お話をお聞きした方が扱っていらっしゃる住宅は、地元の木材を多く用いるのみならず、ノミやカンナによって木材を加工し、近場の竹小舞と土から成る土壁を持っている。ご自宅には薪ストーブを設置されており、シイタケのほだぎにもストーブの薪にもなるクヌギを育てていらっしゃる。かつての里山の利用に近いことが行われている。私はお話のところどころに“楽しい”と仰る姿が印象に残っている。このような人々がいらっしゃるのが素晴らしい。
普段の生活の中に多くの自然の恵みが入り込んでいることがとても魅力的に思えました。ガスなどは自分の生活を便利にしてくれるとても大切なものだと思いますが、やはり見学したような風呂炊きの方法や天日干しがあるような少し不便でも素朴な生活を、遠い将来には送れればいいなと憧れます。また、地域の材木を利用した木造建築もとてもいいものだと思いました。木目を日常的に見かけることで心が落ち着くだけでなく、職人の手作りのこだわりを身近に感じられることも、家という大切なものの要素として嬉しいことだと思いました。最後に、水路の共用や合同でのお祭りなど、都会と比べて地域の結び付きが強いことも、人とのつながりを感じられて幸せなことだと思いました。
私が比良の里山に対して感じた魅力は、人と自然との強い共存性と資源の無駄の無さである。一つ目の人と自然との強い共存性は、川の水を汚さないように心がけたり、神社の近くの木を神聖な木として守ったり、お祭りを行ったりと、自然に対して敬意を払い、守り利用していくという人と自然との関わり方の中で見られたものである。二つ目の資源の無駄の無さは、森を作るにしてもただ植えるだけでなく新たな生態系を作り出したり落ち葉を肥料として利用したりと無駄にする部分が全くないということである。都会では決して経験できないような自然との関わり、利用ができる点で、里山が非常に魅力的に感じた。
実習を通して僕が感じた比良の里山における最も魅力的なところは、やはりその自然の豊かさだ。比良の里山には都心等ではほとんど目にかかることのないような自然が広がっている。それでいて、人の生活圏とは乖離した存在というわけではなく、人間社会の一部というべき形で人と自然が共存しているというような印象を受けた。比良の里山では、自然の持つ癒しの効果が、視覚や触覚等五感を通じて感じられるように思った。また、大昔より、日本の伝統として受け継がれてきた自然の利用の仕方が、そこではまだ生きていた。
温故知新というわけでもないが、里山で生きる技術もまた、現在の技術に活かすことができるのではないかと僕は思う。そういう意味でも、比良の里山は貴重な知識・技術を生の形で提供してくれるところであると思う。
きれいな水が音をたてながら家の近くを流れ、手入れされた明るく涼しい林があり、少し歩けば地域の人たちみんなが大切にしている神社があり、独特の模様を持った大きな石と色とりどりの花や緑に囲まれた庭、それぞれ個性を持った木造の家々…なんだか夏休みに田舎に帰ってきたみたいで、とても幸せな気持ちにさせられました。まず、この里山全体の雰囲気が大きな魅力でしょう。そして、そこでできたものだけで生活のほとんどが回っていること、ちょっとでも油断したらすぐに無駄になってしまうだろうことが全て回収されていること、これは私の周りの生活ではとても真似できないことで、想像はしていましたが実際目の当たりにして、思った以上に感動しました。みんなそうなのじゃな いかな。これも本当に大きな魅力だなと思います。
私は比良の里山における人々の生活環境に魅力を感じた。家のすぐそばには水が流れ、山や湖がすぐ近くにある、自然と親しみやすい環境で私も将来暮らしてみたいと感じた。都市部で暮らすことは便利であるが自然に触れ合うことなく暮らすより、身近に自然を感じて生きていくほうがストレスの少ない生活を送ることができるのではないだろうか。比良の里山の風景は、そう感じさせるものだった。また、そういった自然が近くにあるだけでなくそれを利用して暮らしているのも素晴らしいと思った。私は今までは自然を利用した暮らしは実現困難だと思っていたが、実際に比良ではそれを実現していた。私たちの周りに自然がないだけで、自然を利用して暮らしていくことはできるのだと感じさせられた。
今回の実習で、守山石やさまざまな木々を用いた垣根などの集落の風景も魅かれる部分はあったが、自分が一番印象に残ったのは松井さんから聞いたお話の中で生活に日本の昔ながらの森の利用が強く残っていることであった。ひこばえによる半永久的な薪のエネルギーや落葉の肥料など昔からすれば当然であったと考えられる自然のものを利用した生活がとても魅力的に感じられた。また、人間と自然との関係だけでなく、家づくりの際に、厳密には比良の里山ではないがその土地の里山にある木を利用することで、その木を伐採し、運搬し、製材するという過程が必要となり、地元の産業の活性化に加えて人と人との関係も生まれるという点も魅力に感じた。
今回比良に実習に行って強く感じた魅力は、昔ながらの無駄のない生活です。その中でも特に関心を持ったのは、ただ単に昔と同じ暮らしを続けているのではなく、現代に適応して生活しているところでした。昔あった集落の隅のゴミの問題や排水の問題などは解決し、現在のルールに乗っ取った範囲で無駄のない生活を心がけている。そういったところに今後ともこのような生活を続けていくヒントがあるのではないかと思いました。里山が必要であるという考えはわかるが、私は今のまで積み上げてきた技術を研究を捨てる生活には納得がいかなかった。しかし今回見た比良の里山のように今までの技術が生かされてその中であえて不要なものを省く、こういった生活はどこか妥当な落としどころのように思えた。
比良の里山の魅力は、人間が自然の平衡を乱さずに自然と共生していることです。山の木を使って家を建て、薪を燃やして暖房・炊事・風呂を賄うと同時に、人間の排泄物を田圃の肥料にします。人間が自然の循環に参加する様が窺えます。また、団栗から橡林を造り、成長した橡を伐採するとともに、伐採された橡が蘖から2,3年後再び大木になる——という具合に、人間が自然を持続可能な程度に利用して、生活に役立てています。自然科学は、自然を人間に役立てるために研究し改変する学問で、生活に著しく寄与してきたものの、自然に甚大な影響を及ぼす学問でもあります。林学は自然科学の一領域ですが、自然の平衡を維持するという、他の分野には無い特色を持った学問です。この特色こそが、自然との関係構築という世界の目下の課題にとって不可欠なものとなるでしょう。比良の里山は、私に林学の重要性を確信させてくれました。
この実習の二日前の実習で、京北プレカット工場を見学した。ほぞの加工や表面の加工はほとんど機械化され、大量の「家のパーツ」を作る工場という言い方がしっくり来る気がした。一方松井建設さんは伝統に基づいた家づくりをする工務店であった。(この短期間に全く正反対の建築の現場を直接見ることができたことは幸運であったと言わざるを得ない!!)職人の方がかんなをかけるのをはじめて見た。職人さんの所作の美しさに感動した。かんながけの終わった木の表面を触ってさらに感動。自分の知っている木の肌ではない、と思えるほどなめらかだった。聞けばかんながけのできる職人はほとんど今ではいないという。松井さんの話には、常に木と人がかかわっていた。そして、伝えたいことをしっかり持って仕事されていることがよくわかった。将来大工になろうというわけではないが、この工務店のように伝えたいことをしっかり持って仕事のできるところで働きたいと思った。
お話してくださった方の、暮らしの中でできることはできるだけ自分の手で行う姿勢に感銘を受けました。お風呂のお湯を沸かす、火をくべて魚を焼く、糞尿をためて堆肥として活用する、薪で暖をとる…どれもやろうと思うと少し手間がかかって、面倒とも思えそうなことだけれど、それを楽しんでできているのが素敵だと思いました。また、山に入って木を選ぶことから始まり、3年ががりで建てられる木の家もとても魅力的でした。国産材を使うことで、材だけでなく、人や地域のつながりも生まれるというお話が印象的でした。地域には新しそうな家も何件かあって先生のように新住民として移られる方も増えてきているのかもしれないと思いました。実際に行ってみて、道が広くて車が少なくて、植物の緑があって、自然と肩の力が抜けるような気がして、私もこんなところに住んでみたいと思いました。住民の方にとってはなんでもないような風景かもしれませんが、私からすればジブリの映画に出てくるような魅力的な風景で、この地域がこれからも住民の方の生活でずっと続いて行ってほしいと思いました。
比良の里山を最初に訪れて感じたのは自然との距離が近いという事である。建築用材は近隣の山林から切り出し、竹を土壁の内部に使い、クヌギの木を植林し薪として使い風呂を沸かし、食材を焼いて食べたりしていたように、用途別に樹種を適切に使っていた。そのクヌギも、15年に1度使って次の薪材を再度生み出す更新方法を用いていた。上手く身近にあるものを使って、長期的な視点で物事を考えて生活している印象が強かった。住宅では、山から流れてくる水を生活用水として使用していた。また、若宮神社など昔からの信仰対象からも分かるように、ずいぶん昔から山との付き合いがあった事も分かった。
比良の里山での生活には、自然と人との本来の関わりあいが色濃く残っている。近くでとれた木材を燃料として風呂やストーブの熱源としたり、山の水を生活に利用したり、人の糞尿や落ち葉を畑の肥料として野菜を栽培するなど、まさに自給自足の生活である。
里山の生活は、古く、都市の生活に比べて原始的なものに思っていたが、実に無駄がなく、知恵に溢れたものであると分かった。また、狭い範囲で生活が成り立っている分、周囲との関わりが少ないように思えたが、むしろ住宅の建設に地域の木を使い、地元の工務店で施工するなど、周辺の自然や人との長期的な関わりが強いと感じた。グローバルに活躍することが推奨される現代において、このような里山の生活をどのように残していくかというのは、難しい問題だと思った。比良の里山では、里山文化のもつ自然との繋がりを残しながら、新たな知恵を加え価値を生み出している点で魅力的だと感じた。様々な生き方があることをこのような地域から発信していくことに大きな意味があるように思う。
今回の実習を通して最も魅力的だったのは、地域の自然を活かした家づくりの良さだ。比良の里山での家づくりは山中で家に使う木を見るところから始まるということで、完成までにはたくさんの時間がかかる。しかし、地域の木や土を使い、地域の様々な仕事に携わる人と一緒に家を作り上げていく喜びや楽しさは何にも替え難いものだろう。竹林の竹を壁材に用いたり、クヌギの木を燃料や椎茸栽培に、葉は田んぼに用いたりなど、自然を無駄なく利用する工夫も見られた。また、根が大きいため成長が速いひこばえの木を植えることや、木を旬に切ると持ちが良くなることなど、家を建てる上での利点となるコツを存分に活かしていた。このようにして建てられた家は50~100年間持つということで、まさに日本人の知恵と技術の結集を見ることができた。将来家を建てることになるかまだ分からないが、木のぬくもりにあふれた家を建てられたらと思った。
比良の里山実習でもっとも印象に残ったのが、地産地消の考えのもとに建設の進んだ木造住宅の見学である。住居内はとても涼しく、辺りからは涼やかな虫の音が聞こえ、窓からは琵琶湖がのぞめる。大黒柱の雄々しい姿にも趣向が凝らされていた。また、水路の水は冷たくきれいで森も山も湖もすぐそばである。こんなに自然を近くに感じながら暮らしてゆけるのはとてもうらやましい。水路できゅうりを冷やしている風景や家々のごく近くに自然と森が続いていく感じは、トトロの世界を彷彿とさせた。非常に貴重な風景を見ることができたと思う。また、意外にも交通のアクセスもそこまで悪くはなく、少し歩くとほどなくJRの蓬莱駅を利用することもできる。物質の循環もかなり意識されており、エネルギーや環境に対する配慮もうかがえて本当にすごいと感じた。
まず第一に、水の豊かさを挙げます。琵琶湖を一望できることはもちろんですが、水路が至る所に配置されており、農業、生活用水に利用されている風景をとても美しいと思いました。第二に、生垣の美しさを挙げたいと思います。特に古い住宅において、ヒサカキ、ツバキ、シロダモといった土地由来の木で構成された生垣が配置されており、道を歩いていてとても心地よいと感じました。また、三叉路にあった柿の木については、都会には有り得ない空間の無駄が素晴らしいと思いました。植樹の試みも素晴らしいと思います。コナラ、クリ、クヌギや、タケがゆとりをもって生育し、林床に光が行き渡る里山林が、以前の日本には至る所にあったのかと思うと、豊かになったはずの文明化も少し寂しく感じられました。
比良の里山の魅力は、自然と人が、非常に近い距離感で共存し、自然が持つ安心感を間近に得ることができる点だと思う。木造の家には、地域でとれた広葉樹や、竹材などが使われ、地産地消の概念が浸透していると思った。全体を通して、竹、クヌギなど、人々の生活の、より近いところに木々があり、あくせくした日常に鬱憤が溜まった時に、ふとこういった場所があれば心休まるなと思った。何よりも大事になるのが、こうして地域の産物を使い、地域の人々の需要を喚起することで雇用を生み出すことである。仕事が生まれれば、人も定住し、地域の活力が保たれることだろう。松井さんもおっしゃっていたように、人をしっかり使えるようなシステムが大切だと思う。
里山の生活の魅力を松井さんが楽しそうに語ってくださり、様々な面で感動しました。まず薪で焚いたお風呂をみて驚き、さらに井戸水を使ったり、自然の中で使えるものを使っていく知恵を感じました。家では、土を使うことでこんなにも家の中が涼しくなるのかと感動しました。松井さんが言うように、地元の木や土を使うことで、その地域の人々の生業ができ、仕事がまわる、という人間同士の循環が、地元の木や土などを利用することと同じくらい大切なことなのだなと感じました。ほんの40年前まではこれが普通だったのに、短い年月で失われてしまったのがショックでした。これから少しでもこのような里山のあり方を見習って取り入れていく方向を目指していけたらと思います。
お話を伺った松井さんが、日頃の暮らしから地産地消、資源循環に取り組んでいて、とても素敵でした。自然をうまく利用することで、ほとんど無駄の無い効率的な、環境不可をかけない生き方ができるのだなと思いました。松井さんらが建てる木の家がとても素敵で、将来お金を貯めてこんな家を建てたいと本当に思いました。ただ、家だけでなく周りの環境も関係してくるので、場所は選べないのかもしれませんが。経済成長を遂げるとともに人々の生活は自由になったけど、それとともに自然への愛着、地元への愛着も薄れていってしまったのかもしれない、と転勤族の私は思います。将来どこに住むかも分からないですが、松井さんのような、地域と自然を愛する生活を是非ともしたいと思いました。